公認心理師 2019-138

2019年10月02日水曜日

問138は障害を負ったクライエントに対する優先度が高い対応を選択する問題です。
一般常識として判断可能であるという意見もあるでしょうけど、専門家の試験ですから臨床心理学の見地から解いていきましょうね。

問138 25歳の男性A、会社員。1か月前にバイク事故により総合病院の救命救急センターに搬入された。意識障害はなく、胸髄損傷による両下肢完全麻痺と診断された。2週間前、主治医からAに、今後、両下肢完全麻痺の回復は期待できないとの告知がなされた。その後Aはふさぎこみ、発語が少なくなったため、主治医から院内の公認心理師Bに評価及び介入の依頼があった。Bが訪室するとAは表情がさえず、早朝覚醒と意欲低下が認められた。
このときのBの対応として、最も優先度が高いものを1つ選べ。
①神経心理学的検査を行う。
②障害受容プロセスを話題にする。
③アサーション・トレーニングを導入する。
④脊髄損傷の当事者の会への参加を勧める。
⑤抑うつ状態が疑われることを主治医に報告する。

事例の状態が何によって生じているのか見立てることをまず行い、そしてそれに沿って必要な対応を考えていくという思路で解いていく問題です。
状態を見立てるのはそれほど難しくないかな、と思います。



解答のポイント

事例の状態を見立てられる。
見立てに応じて優先度が高い対応を選択する。



選択肢の解説


①神経心理学的検査を行う。

神経心理学的検査を行う場合、当然ながら脳機能に何らかの問題があると見て取ることが必要になります。
事例の中にそういった徴候がないか見ていきましょう。

事例の状況を見てみると「意識障害はなく、胸髄損傷による両下肢完全麻痺」ということから、事故自体は脳機能に障害を与えるものではなかったことが読み取れます
外傷性の精神症状の場合、意識障害が生じる可能性が非常に高いので、意識障害がなかったということは脳への損傷をとりあえずは除外できます。
もちろん、意識障害も軽重あり、軽い場合の見分け方が難しいとされております。
原田憲一先生の「器質性精神病」などに、その辺は詳しいです(絶版ですけど…)。

その後の「ふさぎこみ、発語が少なくなった」「表情がさえず、早朝覚醒と意欲低下が認められた」などは、それらを単独で見れば高次脳機能の問題を想定することも可能ではあるのですが、やはり文脈から考えて脳機能の問題と見なすのは唐突過ぎる印象を受けます
その文脈とは「今後、両下肢完全麻痺の回復は期待できないとの告知がなされた」という点です。
こうした状況を踏まえると、脳機能以外の要因を第一選択とするのが自然でしょう

以上より、選択肢①は不適切と判断できます。



②障害受容プロセスを話題にする。
④脊髄損傷の当事者の会への参加を勧める。
⑤抑うつ状態が疑われることを主治医に報告する。

これらの選択肢は「今後、両下肢完全麻痺の回復は期待できないとの告知がなされた」という状況を踏まえたものになっています。
その後の「ふさぎこみ、発語が少なくなった」「表情がさえず、早朝覚醒と意欲低下が認められた」という反応は、障害を負ったこと自体、もう以前の自分には戻れないこと、これからの人生に対する不安、これまで描いてきた人生設計の崩壊、などを考えればそう不自然なものとは言えないでしょう。

いわゆる障害受容プロセスには、ショック期(受傷してすぐの段階で、障害が残る可能性などが分かっていないことから、比較的平穏な心理状態)・否認期(治療が一段落して、自分の身体状況などにも目が向くようになってくるが、自分に障害が残ることを認めていない時期)・混乱期(障害を受け止めることができず、他人に感情をぶつけたり、他人を責めたりする。抑うつ反応を示し、自殺を考えることもあるような混乱を示す段階)・努力期(怒りをぶつけたり、絶望しても問題解決にはならない、自ら努力することも必要と気づきはじめる時期)・受容期(現実を受け止め、残された機能の活用や価値の転換がはかられていく時期)などがありますが、本事例の状態は混乱期に近い状態と判断できます
この混乱期の時期に「障害受容のプロセスを話題にする」ということには、ほぼ価値はないと判断できるでしょう。

その理由のひとつは、受傷者の心理状態は「いま現在」の障害の事実によって生じているのに対し、障害受容のプロセスを伝えるというアプローチは「未来」に関する話題という点にあります。
こうした「こころの時間軸」を無視したアプローチは、どんなに整合性があるものであっても相手に染み透ることはないのです
障害の事実を受けとめているクライエントのそばに「何もせずにいること」が大切です(そもそも「臨床:床に臨む」とはそういう意味なのです)。

また、障害を負った人のそれまでの人生、いま有る社会的支援の量と質、年齢等などの受傷者の特性などによって障害受容のプロセスはかなり変わり得るものであると同時に、受傷者がこれから歩んでいく障害を抱えた人生図はその人の「オリジナル」であるということが大切だと思うのです。
その人がこれから歩む人生を「自分の人生である」と先々思えることが、その人の人生全体の満足感と係わってくると思われ、そのためには「人生の唯一無二性」が重要です
障害受容のプロセスを伝えるということは「多くの人と同じような流れになる」ということへの示唆になり得る可能性も考えねばならず、「人生の唯一無二性」を薄れさせる恐れがあります。

もちろん「一般的にはどうなるのか?」と当人から問われるような状況もあり得るでしょう。
そうした場合は控えめにプロセスを伝えることもありますが、同時に、その過程はやはりそのクライエント「オリジナル」のものであるという認識も伝えることが大切だと思います(それは言葉以外の形で伝わる部分も大きいでしょうね)。

選択肢④の「脊髄損傷の当事者の会への参加を勧める」というのは、いわゆるピアサポートの重要性と効果を期待してのアプローチだと考えられます。
もちろんピアサポートは重要なのですが、「自身の障害の事実に混乱している」というクライエントに対して、「同じような体験をしている者同士が支援し合う」というアプローチは若干のずれがあることがわかると思います。
クライエントは言わば「障害の事実を受けとめられないでいる」わけです。
これに対して「当事者の会」は、「脊髄損傷の当事者」と名乗っているわけですから、その事実をある程度は受けとめているという段階にあり、その上で互いを支え合うという形になるかと思います。
当事者の会を勧めるというアプローチは、こうしたクライエントの「こころの状態軸」からズレたものと判断できますね。
そもそも、明らかに障害の事実によって混乱しているときに「脊髄損傷の当事者の会への参加を勧める」というアプローチを実施するというのは違和感がある対応だと思うのではないのでしょうか。

さて先にも少し触れましたが、「ふさぎこみ、発語が少なくなった」「表情がさえず、早朝覚醒と意欲低下が認められた」というクライエントの状態は、障害の現実を受けたときに生じた抑うつ反応と見なすのは不自然でないことがわかりますね。
抑うつ状態は自殺念慮、自殺企図などを生じさせやすく、その辺のケアが重要になってきます。
よって、こうした段階で何を優先すべきかと言えば、医療機関であれば主治医に、それ以外の場所であっても医療機関への連絡だと言えるでしょう
選択肢②や選択肢④が否定される消極的な理由として、主治医との連携という「他に優先すべきことがある」ということも考えられるでしょう。

以上より、選択肢②および選択肢④は優先度が高いとは言えず、選択肢⑤が最も優先度が高いと判断できます。



③アサーション・トレーニングを導入する。

こちらの選択肢は「今後、両下肢完全麻痺の回復は期待できないとの告知がなされた」ということに伴う種々の思いを「表現した方が良い」という考えに基づいて設定されたものと思われます。
この視点には2つの瑕疵があると思われます。

まずは、このクライエントは「表現する技術に課題がある」というわけではないと考えられます。
アサーション・トレーニングは、その場にふさわしい表現方法で自分の気持ちや考えなどを正直に伝えられるようになるコミュニケーションスキルを養うことを指します。
しかし、クライエントにそういった表現力に難があるという記述は見られませんし、むしろ「ふさぎこみ、発語が少なくなった」「表情がさえず、早朝覚醒と意欲低下が認められた」ということが何よりの表現であると見なすのが妥当です
言葉にならないほどの心理的動揺がクライエントに生じていると捉えるべきでしょう。

また、自身の障害に関する思いを「表現した方が良い」という認識も不適切と考えられます。
言葉の重要な機能として「鎮静化」があります。
言葉は概念であり、容れ物でもありますから、クライエントの種々の感情にフィットする言葉で表現することによって、感情が沈静化し、納まるということが考えられます(これを技術的に応用したのがフォーカシングですね)。
しかし、適切な鎮静化が生じるためには、その体験をしっかりと味わうことも必要で、十分な味わい無しに行われる言語化は、体験群のうちに未処理の部分を残すという結果になりかねません
トラウマなどの場合でも、安心できる状況で、そのクライエントのタイミングで振り返ることが重要なのは、そういった理由もあるのです。

事例は「今後、両下肢完全麻痺の回復は期待できないとの告知がなされた」という状況であり、まだクライエントの内面にはさまざまな感情が渦巻き、納まる状況ではないと考えるのが自然です。
この状況で性急な言語化は心理支援として適切とは言えないでしょう

ある程度の時間経過とともに本人の意思で語る動機づけが出てきた段階で、そのときに傍にいられるような(いさせてもらえるような)支援者でいるように努めることが、この時期の支援で大切なことです(私はあなたの話を聴く準備があります、という姿勢が大切ですね)。
そのときに適切な表現が難しいということになれば、アサーション・トレーニングも考えられるのかもしれません(私はあまり必要性を感じませんが。「トレーニング」と表記する以上、どうしても「適切に」というニュアンスが付いて回る。適切に語る必要なんてないんです)。
このような語る場として、選択肢④の当事者の会は役立つかもしれないですね。

以上より、選択肢③は不適切と判断できます。

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小学校~大学までの教育領域で臨床活動をしています。また10年以上、臨床心理士資格試験対策の勉強会に携わってきました。
このブログでは公認心理師および臨床心理士の資格試験に向けた内容をアップしていきます。時々、コラムや読書録なども。

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