公認心理師 2019-95

2019年09月21日土曜日

問95は自殺予防に関する問題です。
臨床心理学(というよりも心理臨床の世界)で古くから言われていることも含んだ問題になっています。

問95 自殺予防に対する公認心理師の対応や判断として、最も適切なものを1つ選べ。
①自殺をしようと計画する人は、死ぬことを決意している。
②自殺の危機が緩和されるまで、心理の深層を扱うような心理療法を継続する。
③公認心理師がクライエントと自殺について話をすると、自殺行動を引き起こすことになる。
④自殺が1つの選択肢であるという考えを一旦受容し、自殺が正しい判断ではないことを確認する。
⑤クライエントが自殺について語るときは、注意を引きたいだけであるため、実際に自分自身を傷つけることはない。

私個人としては、本問の正答の内容は納得のいくものではありません。
ですが、どれが正答かは選ぶことができます。
私の考え方が古いだけで、近年のカウンセラーにとっては本問の正答のような捉え方の方が馴染むのかもしれないですね。



解答のポイント

クライエントの死に関わることについて、カウンセラーとして考え続けていること。



選択肢の解説


①自殺をしようと計画する人は、死ぬことを決意している。
③公認心理師がクライエントと自殺について話をすると、自殺行動を引き起こすことになる。

こちらについては以下の書籍に詳しく載っています。
臨床心理士の頃には基本書の一つとして挙げられたものです。
私の持っているのは新版の古い方ですが、新しいものではいろいろ変わっているかもしれないですね。
こちらの内容を踏まえて述べていきます。

まずうつ状態(特にうつ病者)のクライエントに対しては、積極的に自殺念慮があるか否か質問すべきです
このことは神田橋先生が、うつ病者に自殺念慮の有無を問うときには「死にたいと思うことがありますか?」と問うのではなく「死にたいと思うこともありますね?」と問う方が適切であると述べていることと通じます。
それほどうつ病者には自殺の問題が伴っているのです。

ただ、近年は「うつ状態」「うつ病」という定義が広がってきたように思います。
新型うつ(ディスチミア型うつ病、社会的うつ病などとも呼ばれます)の概念に始まり、子どもたちにも容易に「うつ病」という診断が下されるようになっています。
かつてより、自殺が伴いやすいうつ病とそうでないうつ病の幅が広がっているということが言えるでしょう。
少なくとも、子どものうつ病に「積極的に自殺念慮を問う」のは適切ではないように感じています(もちろん、それを問うことが必要な場面はあり得ます)

さて、うつ病者に自殺念慮があることが明らかになれば、方法や場所など具体的なことを積極的に問うていくことが大切です
それらを具体的に考えていれば、本当に緊急事態であると判断できるので、可能な限りの保護体制を整えることが急務になります。
きちんと看護のできる体制の整った病院へ入院することを勧め、関係者に連絡をする必要があります。

これらはうつ病者の自殺念慮に関してでしたが、次はヒステリーについて考えてみましょう。
ヒステリーは現在の医学体系で使われることがない用語です。
DSM-IVでは身体化障害と記され、他の書籍では転換型は転換性障害(神経学的検査によって説明のできない神経症状を示し、典型的にはストレスの多い出来事の後に、発作、麻痺、歩行障害、会話困難などを示す)、解離型は解離性障害に属す障害とされています。
ヒステリー性格者は、自分を実際よりもより多く・大きく見せたがるという特徴を持ち、他人の注意を惹きつけるために、わざと奇妙なことを言ったりやったりし、大きなことを言って他人が関心すればそれが満足に繋がります。

ヒステリーや心因反応という言葉は、科学的な概念として曖昧だということであまり使われなくなってきて、診断学の体系からは排除されました。
しかし、臨床実践ではまだ心因反応、時にはヒステリーという言葉を使う場合があります。
この点について神田橋先生が以下のように述べています。
「治療の現場で「心因」という言葉がいつも頭にあると良いからなんです。そして「心因」というものは何によって捉えられるかというと、「察する」ことによって捉えられるんです。心因の存在は、診断されるわけではないの。診断というのは決めることで、…そうじゃなくて心因というのは、「そうじゃないかしら?」と思って、察してあげるわけです。…医療従事者に「察する」力があれば、道具としての医学を間違った使い方で患者に用いることがないようにできる。あるいは、適切な量とタイミングで医学を医療の中に導入することができます」

いわゆる「心因反応」というものは、原則として体験因がおさまるとそこで消えていくはずのものです。
だから、何かがあって悲しかったけれども、それも時とともにだんだん悲しみが薄れていくに従って、元気になっていくことができます。
そういう人の支援には「察する」ということが重要な意味を持ちます。
「察する」ということは、言わなくても相手に伝わるものです。
そして「察する」ことが伝わるということにより、心因反応の体験因になっていたものがおさまるまで、そのクライエントを支えることにつながるのです。
というわけで、ここでは「ヒステリー」「心因」という表現を使いつつ、考えていくことを大切にしていこうと思っています(現代の診断体系に無いから使用しない方がいい、という意見には与しません、ということです)。

さて、話を戻しましょう。
ヒステリーのクライエントの自殺念慮・自殺企図についてです。
彼らはよく自殺する可能性をほのめかすことがあるし、実際、試みることもあります。
しかし、たいていの場合、それは未遂に終わります。
彼らの自殺の仕方には、どこか演技的であり、助かるようにうまく計算されており、家族や面接者の注目をひこうとする意図が見られることがあります

けれども、やはり面接者はクライエントのそれ以前の自殺企図について、できるだけ詳しい情報を得ることが大切であり、ヒステリーの自殺念慮だからと安易に考えるべきではありません。
過去に何度も繰り返し自殺を企てて、それが失敗に終わっているような場合、家族は「どうせ死ぬ気はない」「やるんなら本気でやれ」という態度を取る場合もあります。
これを家族の薄情さと受け取ってはなりません。
それほどにヒステリー者の症状の「わざとらしさ」は周囲を不快にさせることがあるのです、特に家族であれば尚更。

このような場合にクライエントの過去の自殺企図について詳しく聞き、自殺手段が次第に致死度の高いものになってきている場合は、面接者は家族と会うなど注意体制を整えることが求められます。
近年の子どもたちの自殺にも言えることですが、未遂のつもりで試みたのが、運悪く既遂になってしまうことが実際にあり得るからです。

ヒステリーのクライエントが自殺することをほのめかしたり表明したりするようなとき、少なくとも面接者は真面目に取り上げるべきです。
面接者がどうせまた狂言だからという風に無視したり軽視したりすれば、かえって、クライエントは自殺を試みなければならない羽目になってしまいます(注意を惹かそうとしているのに、惹かれないからやるしかない)

うつ病でもヒステリーでも、クライエントが自殺をほのめかしたり表明したり、面接者から見てクライエントが自殺をする恐れがあるような場合、面接者は、クライエントとそうしたことについて話し合うのをためらったり避けたりしてはいけません
話し合った結果、クライエントが自殺をする恐れがあることがわかれば、積極的に自殺予防のための体制作りをしなければなりません。
精神科医に会い相談したり、家族・友人などに協力を求めることも必要でしょう。
中でも家族の協力を得ることが重要であり、緊急の際の家族相互や面接者との連絡方法を細かく決めておくことも大切です。
クライエントにも、緊急のときに必要ならば電話しても良いと許可を出しておくことも必要かもしれませんね。

自殺について積極的に取り上げる意図は、こうした現実的な面だけに留まりません。
死について話題にしないことは、先述のように「反応してくれない」と捉えられるだけでなく、自分の生死と向き合う「力」とか「覚悟」の欠如と受け取られることもあるでしょう
クライエントの生死と向き合うということは、それはそのまま、クライエント自身と向き合うことです。
特に生死に関する話題ではそうした思いが顕著に現れると自覚し、しっかりとその話題を両者の間においてやり取りできることが大切です。

以上より、選択肢①はクライエントによってはそうとは言い切れないことがわかります。
また、死について人間は常に葛藤的です。
「死にたい」という表明の裏には「死ぬことへのためらい」が潜んでいることが自然であり、そうでなくてはわざわざ「死にたい」と表明することもないはずです。
「生きている以上、生きたいという気持ちは完全には消せない」のです

また選択肢③は、自殺に関しての間違った論理です。
こうした論理を積極的に用いる場合、その支援者自身に人の生き死にを扱うことへの消極的な姿勢が控えていることが多いです。
もちろん、人の生き死にを積極的に扱うというのも変な話ですが、臨床実践ではそれを「絶対に避けてはならない状況」ってあるんです

よって、選択肢①および選択肢③は不適切と判断できます。



②自殺の危機が緩和されるまで、心理の深層を扱うような心理療法を継続する。

これは臨床の中で古くから言われていることの一つです。
すなわち「現実的な問題が大きいときには、心の深層を扱うようなアプローチは控える方が望ましい」という考え方を元ネタにした選択肢と言えるでしょう

こうした考え方は、一般的にも理解しやすいものだと思います。
何かしら悩みを抱えているときに、あまり現実的なこと、例えば仕事が手に付かない、勉強がはかどらないということも経験するところだと思います。
現実と非現実、表層と深層、外界と内界、など様々な表現は可能ですが、いずれかに大きな課題を抱えているときには、もう一方はおろそかになりやすいということです

カウンセリングでは心の深層を扱うような(私は心を「扱う」と表現するのは好きではありませんが、便宜上そう表現しておきます)アプローチだけでなく、具体的・現実的な事柄をやり取りする場合も少なくありません。
自殺の危機は、クライエントの現実の生死にかかわる喫緊の課題であり、上記の考え方に従い「心の深層を扱うような心理療法は控える」のが適切な対応と言えるでしょう。
アプローチとしては、より具体的・現実的な事柄をやり取りするような対応になっていくことでしょう

これらと並んで言われることが「心理療法中に重大な決断はしないようにする」という考え方です。
これも上記と類似で「心の深層を扱っているときに、具体的・現実的なことを決めようとしても熟考した判断とならない」という考え方があります。
しかし、こちらの考え方はやや現実感の無い面があります。
例えば、妊娠した場合に「産むか否か」を考える場合、「判断を保留にすること自体が重大な決断である」ということになってしまいますね。
よって、「心理療法中に重大な決断はしないようにする」ではなく「重大な決断をする場合は、心理療法を中止する」ということが適切な判断となる場合が多いでしょう。

ただ近年は「セラピー」を行っている人が減ってきましたし、心の深層ではなく具体的・現実的な事柄のみをやり取りするタイプの支援者も増えてきました(もちろん、この2つは分け難い事柄であるはずですけど)。
もともと具体的・現実的な事柄のみをやり取りするタイプのカウンセラーは、そもそも「クライエントの重大な決断についてやり取りする」ことが仕事だと思っているはずですから、上記の「心理療法を中止する」という考え方は馴染まないでしょうね。
個人的には残念なことですが、ここで挙げたようなお話も数年すれば事情が変わってくるかもしれないですね。

以上より、選択肢②は不適切と判断できます。



④自殺が1つの選択肢であるという考えを一旦受容し、自殺が正しい判断ではないことを確認する。

自殺が語られたとき、本選択肢のように「1つの選択肢である」という構えは重要であろうと思います。
人は苦しい状況になればなるほど視野狭窄が生じ、多くの選択肢が見えなくなっております。
よって、「あなたには他にも選択肢があるんだよ」ということを暗示する意図を含め、「自殺が1つの選択肢であるという考え」を受容することは大切です。

恐らくは多くの人が「考えを一旦受容する」ことによってクライエントとのやり取りの場を安定させようとする意図を持っているでしょうが、それだけではなく、他の選択肢もあるということを暗示的に示すという治療的な意味もあります
こういう「視野を広げる」ということが、心理療法における「洞察」の中核です。

その上で「自殺が正しい判断ではないことを確認する」という対応を採るとしていますね。
このようなクライエントの意見とカウンセラーの意見をぶつけること自体に、クライエントを現世に留め置く存在としてカウンセラーが機能する面があります。
また、クライエントを「死なせたくない」「死んでほしくない」というカウンセラーの思いや倫理観を示すという意味もあり、その後の具体的・現実的な保護体制の構築を行っていく準備にもなるでしょう

ただし、私はこの「自殺が正しい判断ではないことを確認する」という考え方には与しません。
以前、2018追加-153の解説でも述べましたが、私はクライエントの死と関わる際「すべての自殺決定は正常な選択である」という前提が大切だと思っています。
事実「そのような状況、そのような人生だと自殺が正しい判断だ」と認識せざるを得ないようなクライエントも確かにいます。
全てのクライエントに「自殺が正しい判断ではない」というテーゼは成り立たないと思うのです。

クライエントの判断を「正しい」と考え、だけどそれを止めたいと思うのも自明なことであり、究極的には自殺を押し止めることはカウンセラーのエゴであることを、クライエントの死に関わる人は認識しておくことが大切だと思います。
「自殺が正しい判断ではない」という上意下達的な認識は、クライエントの死にかかわる姿勢としてはあまり適切とは思えないのです。
このように感じるのは、クライエントに死んでほしくないのは、カウンセラーの「惻隠の情」「利他の本能」に起因する思いによってなされるものだろうと私が考えていることが大きいのでしょう。

とは言え、本問で示された選択肢を見た場合、本選択肢が一番適切とは言えるでしょう。
よって、選択肢④が最も適切であると判断できます。



⑤クライエントが自殺について語るときは、注意を引きたいだけであるため、実際に自分自身を傷つけることはない。

こちらは上述したヒステリー者の自殺の訴えの性質とその対応で示してあります。
注意を引きたいという思いがあることは事実であっても、それに対して「自分を傷つけることはないでしょう」というスタンスで関わることにより、本当に自殺を引き出しかねないということです

また、そもそも人が「注意を引く」という行動はどうやって生起されるのかを考えておくことも重要です。
人は生理的早産で生まれてきますが、それは人が食物連鎖の頂点に位置していることを意味しています。
それ故に人は「多種族からの侵襲」よりも「同種族から受け容れられること」が生存のための重要な課題となります。

人間、特に幼児にとって同種族からの分離や見捨てられは死を意味します。
これは論理的な思路によって導かれた考え方ではなく、むしろ人間という種に備わっている捉え方であり、それ故に論理的説明によって分離や見捨てられの恐怖を軽減することは本質としては困難であると言えます。
よって、分離の不安を止揚するために甘えが出現したり(土居先生の甘えの定義はまさにこれです)、見捨てられないための種々の工夫が行われることになります。
「注意を引く」という言動は、こうした工夫に類するものです。
すなわち「注意がこちらに向いている間は見捨てられない、分離されない」ということです。

これが子どもたちの注目欲求、ヒステリー者の演技的・誇大的な様子に通底するものだと私は考えています。
よって、本選択肢にあるような「注意を引きたいだけ」という軽視した捉え方自体が間違いであることがわかります。
「注意を引く」という言動が見られるクライエントは、こうした「分離や見捨てられ」という根源的な不安・恐怖を抱えた人たちであり、それを何とかしようとするもがきが「症状・問題」と認識されているのです。
こういう点からも、「注意を引く」という行動を軽視してはならないということが言えますね

以上より、選択肢⑤は不適切と判断できます。

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小学校~大学までの教育領域で臨床活動をしています。また10年以上、臨床心理士資格試験対策の勉強会に携わってきました。
このブログでは公認心理師および臨床心理士の資格試験に向けた内容をアップしていきます。時々、コラムや読書録なども。

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