公認心理師 2019-59

2019年08月18日日曜日

問59は虐待状況における幼児の初期反応について問うたものです。
大切なのは「それまで安全だった家庭が、安全ではなくなった」というところですね。

問59 2歳の女児A。母親が専業主婦であり、保育所には通所していない。母子関係は良好で安定しており、特にこれまで母親と父親のいずれからも身体的虐待などの不適切な養育を受けたことはない。しかし、最近、母親に対する父親の暴力が頻繁に生じるようになり、また、3歳の兄Bがささいなことで父親から激しい身体的虐待を受けるようになった。
 今後、Aに生じてくることが想定される心理的反応や親子関係について、最も適切なものを1つ選べ。
①Bと助け合う行動が増える。
②母子関係はその後も良好であり続ける。
③父親に対して次第に怒りなどの敵対的な感情を表出するようになる。
④頻繁に泣いたりぐずったりするなどの情緒面での動揺が激しくなる。
⑤問題行動が生じる可能性はあるが、Bに比べれば、対応の必要性は低い。

不安定な状況において幼児が示す反応は、多少の個人差はあるもののある程度一定しています。
それは幼さゆえに経験や学習によって不穏時の反応が歪められていないこと、Kannerの「症状の意義」で示されるような反応が素直に出やすいこと、などが予想されるからです。

幼児にとって、その環境が安心できるものでなくなることはどういう意味を持つのか、そういう点に対する細やかな理解をしておくことが大切です。
多くの大人が忘れてしまう点ですが、想像力を働かせれば理解はそう困難ではないと思うのです。



解答のポイント

幼児にとって家庭に安心感が無くなるということがどういうことかを理解していること。



選択肢の解説


①Bと助け合う行動が増える。

子どもに限らずですが、多くの人間にとって共通する恐怖の一つとして「見捨てられること」があります。
大人であれば「別の場所で生きていく」という社会的能力が備わっていることもありますが(それでも傷つきますけど)、子どもの場合はそういうわけにもいきません。
見捨てられてしまえば、文字通り生きていくことができないですし、子ども自身がそのことを本能的に理解しています。

このような傾向があるため、子どもは過酷な状況でも耐えますし、その状況を自分と結び付けて理解しようとします。
すなわち「自分が悪い」という理解の仕方です。
被虐待児はほぼ100%この感覚を持って生きています。

女児Aと兄Bとの関係で生じる可能性があることとしては、こうした「自分が悪い」という認識によって、兄が殴られているのにAが謝る、殴られた後に一生懸命手当てをしようとするなどでしょうか。
こうした「献身的に振る舞う」ということは、虐待状況でよく見られることですが、決して選択肢にあるような「助け合い」というニュアンスのものではありません

特に助け合うということの意味を、兄が殴られるのを庇ったり、両親に対して殴ることを止めるよう言ったりするということと仮定すれば、尚更不可能と言えます(この辺については後述します)
また、一見「助け合い(と言うよりもAがBをケアするような言動)」に見えるようなものが生じるとしても、それは順番としてはもう少し後になります。
まずは選択肢④のような反応が生じるのが自然です。

よって、選択肢①は不適切と判断できます。



②母子関係はその後も良好であり続ける。

こちらは「暴力の場」がどういうものなのかを理解していない場合の見解です。
暴力の場に関する考察は斎藤環先生の「子どもから親への家庭内暴力」が詳しいです。
こちらの文章の中で素敵だなと思うのが、以下のものです。
「個人の資質や病理、思想信条とはおよそ無関係に生じてしまう暴力がある。…この「場」の中では誰もが暴力的に振る舞う可能性を強く帯びる。もちろん筆者が例外である、などと主張するつもりはない

下線部ですが、これは斎藤先生ご自身も以下で述べるような場におかれれば暴力的になるという理解をしておられるということです。
私は「自分のその問題や病理になり得る」という認識を通して、その問題や病理を理解しようとすることが重要だと考えており、自分自身も多くの問題が自分にも生じ得ると思いながら述べています。
こちらの理解の仕方には異論があるでしょうが、支援者の支援や問題の仕組みを解き明かそうとする意欲は、こうした考え方とつながっているように感じるのです(発達障害支援に熱心なDrにADHD傾向が多いような気がするのも思い返されます)。

さて斎藤先生が指摘されている暴力の場とは以下のような特徴を備えています。
  1. 密室性
  2. 二者関係
  3. 序列(権力関係)
もちろん本当に密室である必要はなく、そしてその密室性は二者関係によってより強まります。
こうした条件が揃えば、そこは暴力の場になり得るのです。

事例では、密室性や二者関係が生じやすい構造が見受けられます。
それは、母親が専業主婦であること、家庭という閉ざされた空間で起こっていること、などです。
こういう密室的な二者関係の中では、必ず序列が生じてしまいます。

以前、虐待死事件の折に、父親の虐待を止めなかった母親が逮捕・起訴されました。
これは社会的には仕方のないことかもしれませんが、密室的な二者関係によって生じた序列の中に母親が組み込まれていた場合は、当の母親自身にも抗う術は無かったろうと思います。

序列が生じれば、ちょっとしたこと(正確には暴力者の「理想」とズレるだけ)で暴力や叱責が行われ、過失や失言などを執拗に責め立てることにより、命令に逆らえないような状態を暴力者が作り出します。
これは洗脳の仕組みであり、密室化した二者関係ではこの種の洗脳の温床になります。
すなわち、加害者の意図的で巧みな誘導と加害行為の繰り返しによって、被害者に解離が生じ意識野の狭窄や被暗示性の亢進のもと、加害者の理不尽な命令や暴力に対して逆らうことが困難になるということです

さて、このような状況におかれた母親は、(もちろん個人差はあれど)暴力者すなわち父親の言いなりになる可能性があります。
ひどい場合は共に子どもたちに暴力を振るうことや、子どもの過失を告げ口することも往々にしてあるでしょう。
母親が子どもたちにとって安心感のある人物として機能しなくなることは、十分に想定されることです

また、子どもは幼いが故に母親を中心とする世界が崩れていることを感知します。
母親はそれまでのような世界の安心感を司る地盤とはなり得ず、一歩あるきだせば地面が崩れるような心境に幼児は置かれることになります。
当然、母親に対してこれまでのように安心感を背景にした依頼関係は生じにくくなるでしょう

以上より、こうした虐待状況の中で母親自身も女児Aも、それまでのような良好な関係を維持することは不可能と見るのが自然です
よって、選択肢②は不適切と判断できます。



③父親に対して次第に怒りなどの敵対的な感情を表出するようになる。

こちらは幼児の世界を想像すれば否定できる選択肢であることがわかります。
よく暴力状況で「抵抗すればよかったのに」と言う人がおりますが、理解に乏しい言説であると言わざるを得ないです。

人間は生理的早産で生まれてきます。
これは人間が食物連鎖の頂点に立っていることの証左ですが、それ故に他の動物からの侵襲よりも同種の大人に大切にされることが重要になります
生まれたばかりに限らず、子どもは無力であり、自分の力だけでは生きていくことができません。
子どもたちはそのことを本能的に理解しています。

ですから、子どもたちはどんなに過酷な状況でも耐えますし、親から自分が大切にされるよう努力もします。
子どもにとって家庭は世界そのものです。
その中で親に逆らうことは自分が見捨てられるという恐怖を喚起しますので、当然行われることはありませんし、そもそも「そういう考えさえ浮かばない」ものです。
虐待状況やDVが生じているときに、多くの子どもは「自分が悪い」と帰属します。
これは頭の良し悪しとは全く無関係に生じることであり、知的生命体である人間の「状況を理解することで落ち着こうとする」という優れたパターンの出現でもあります(この辺は映画「グッド・ウィル・ハンティング」に描かれていますね)。

よく反抗期について述べるときに使う論理ですが「親に反抗するということは、反抗しても自分を見捨てない程度の信頼があるという証拠」なわけです。
親に対する怒りというものは、こうした「ある程度の信頼」に基づいていないと生じないと考えてよいでしょう

事例の状況では、幼児にとって世界そのものである家庭が揺らいでいます。
このような状況下で、たとえ暴力者であったとしても、父親に怒りの感情を「持つこと自体」が不可能なのです
単に「敵対的な感情を持つと殴られると思うから」では決してありません
そういう合理的な判断を超えたところに、親子の繋がりや子どもが生きていくということがあるのです。

以上より、選択肢③は不適切と判断できます。



④頻繁に泣いたりぐずったりするなどの情緒面での動揺が激しくなる。

本事例を理解する上で大切なのは、女児Aにとって「ずっとこの状況だった」のではなく、「最近になって、家庭が安心できるものでなくなった」という点です。
よって、女児Aの反応は「これまで安心感のある場が、安心じゃなくなった」という状況に基づいたものになると考えるのが妥当ですね

このような状況において、多くの幼児が示す最初の反応は「情緒的に不安定になる」ということです。
具体的には、これまで一人でできたこともできなくなり、怖がらなかったものを怖がるようになり、ちょっとしたことに過敏になったりします
「細かいことにこだわる」ということがある種の発達障害の特徴のように言われますが、緊張感のある状況に曝された人に広く見られる反応でもあります(お化け屋敷に入ると小さな物音にびくっとなる、あれです)。

これは先述している、幼児にとって家庭という世界そのものの安心感が失われたことによる最初の反応です。
世界に安心感があるからこそ、外界にチャレンジできたり、一人で何かを実行することができたり、多少の不安感を抱えながら生きていくことができるのです。
安心感が阻害された場合「それまで存在していた安心感が欠如したことによる反応」として情緒的に動揺するということが見られると理解しておきましょう

こうした情緒的動揺に対して、何らかの虐待が行使されるのであれば、それによって幼児にまた別の反応が生じてきます。
過度に良い子であろうとする、「私が悪いの、ごめんなさい」などがその代表でしょうか(この辺は選択肢①と絡んでくるかもしれないですね)。

以上より、選択肢④が適切と判断できます。



⑤問題行動が生じる可能性はあるが、Bに比べれば、対応の必要性は低い。

暴力は依存です。
各種依存症との共通点を述べていきましょう。
  • 依存も暴力も次第に些細な欲求不満の解消手段になる:
    最初は理由があっても、その後は「言った物と違う物を買ってきた」などで暴力になる。
  • 同じ効果を得るために次第に強い量が必要になる
    覚せい剤も暴力も、同じ量の陶酔を得るためには量を多くしていかねばならない。
  • 陶酔感を生じさせる:
    心からの満足ではない。満足の代用品にすぎないから。
このように暴力は依存との共通点が多く、私の見解では暴力は間違いなく依存になり得るものです。

こうした暴力によるつながりは本質的な信頼関係に基づいたものではないことがわかると思います。
何より厄介なのが、暴力者が自覚・無自覚は問わないが、そのことを理解しているということです。

それによって、こうした暴力に支配された場は無際限に続き、先述したように「強い量」によって支配を強めようとするという面もあります。

いずれにせよ、事例の状況で父親の暴力が母親や兄Bで留まるという牧歌的な見立てはすべきでありません
また、そもそも、こういう状況に曝され続けることで、女児Aの精神面にネガティブなものが刻まれ続けることになります

更に先述したように、暴力の場は個々人を見て対応するものではありません。
母親とAとB、そして父親を分けて論じることは支援上不可能です。
よって、「個別対応」という認識を持つ本選択肢は、その面から明らかに不適切であることがわかります

以上より、選択肢⑤は不適切と判断できます。

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小学校~大学までの教育領域で臨床活動をしています。また10年以上、臨床心理士資格試験対策の勉強会に携わってきました。
このブログでは公認心理師および臨床心理士の資格試験に向けた内容をアップしていきます。時々、コラムや読書録なども。

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