初回面接については、その領域によってかなりの違いがあると思います。
例えば、医療機関であれば何らかの精神医学的問題を有している可能性が高まりますし、福祉機関によっては虐待・貧困などの特定の問題が多くなる場合もあるでしょう。
それぞれの問題や状況に沿った初回面接の在り方があろうと思います。
ですが、今回は大きく「初回面接でのクライエントとの関わり」という括りになっています。
よって「どの領域でも安定的に行われやすいこと」が選ばれる必要があると思われます。
また、複数の可能性を同時に見たときに、最も採られる可能性が高いだろう態度が選ばれる必要があるわけです。
これらの点を考慮しつつ、解説を行っていきます。
ちなみに初回面接については、かなり多くの書物が出ていますね。
私が参考にしてきたものを以下に列挙します。
- 児童精神科臨床〈1〉初回面接:
初回面接に関する古典にして名著です。
複数の臨床家が初回面接について述べています。
長らく絶版ですね、残念。 - 方法としての面接-臨床家のために:
土居健郎先生の名著です。
土居先生は「自分が何をわかっていないか」を常に意識されながら臨床をされており、それがこのご著書にも反映されています。 - 精神科における予診・初診・初期治療:
笠原嘉先生の名著です。
総論的な事柄から具体的な着目点など、初回面接に重要な内容が網羅されています。 - 精神療法の第一歩:
成田善弘先生の名著です。
初心者に向けて紡がれた、先生の体験に根差した言葉はしっくりときます。 - 心理臨床の奥行き (帝塚山学院大学大学院〈公開カウンセリング講座〉3):
河合隼雄先生の「初回面接について」が収録されております。
このすぐ後に倒れられており、これが最後の講演になっています。
最後の講演が「初回面接について」とは、何とも素敵なお話です。 - 心理療法入門-初心者のためのガイド:
心理療法の入門書として、幅広い内容が記載されています。
倉光修先生が訳をされています。 - 心理臨床家の手引:
かなり広い領域の基本的な内容を網羅しております。
現在、第4版まで出ていますが、私は第2版の古いのが好きです。
現在の版には載せていない(載せられない?)資料が記載されています。
新しい内容については、第4版の方がいいのだろうと思います。 - カウンセリングの実際問題:
河合隼雄先生の名著です。
ユング派の河合先生ですが、どの学派の方が読んでも大丈夫な内容になっています。
他にもいっぱいあるのですが、キリがないのでこの辺で終えておきましょう。
古めの本ばかりですね。
ここ5年くらいは初回面接に関しては雑誌を見るくらいで、新しい良い書籍もあるのかもしれませんが把握できておりません。
古めの本ばかりですね。
ここ5年くらいは初回面接に関しては雑誌を見るくらいで、新しい良い書籍もあるのかもしれませんが把握できておりません。
本問では、その解説としてぴったりとくるような箇所を書籍から見つけることは非常に困難です。
よって、上記のような書籍を踏まえた上で自分なりに書いていこうと思います。
解答のポイント
初回面接の主な目的を理解していること。
選択肢の解説
『①ラポール形成のために、早急な助言を控える』
一般に助言をすることによる危険性は、クライエントが過度に依存的になり、自分の問題を自分の問題として関われなくなる点にあります。
こうしたクライエントの主体性を失わせる可能性を考慮に入れて、助言を行っていくことが大切になります。
また本選択肢の「早急な助言」という表現をどう捉えるかが難しい問題です。
「早急(さっきゅう・そうきゅう)」の辞書的な意味は「非常に急ぐこと・さま」となっています。
重要な見落としに気づかぬままに急いで助言を行うことで、かえって支援が遠回りになってしまう可能性があると思います。
以上より、選択肢①は適切だという判断ができるかと思います。
しかし、この選択肢が適切という判断は、あくまでも他の選択肢との比較にすぎません(何もない状態で、この選択肢が〇か×か問われれば、私は確実に×をつけます)。
なぜなら、初回面接での「早急な助言」が必要な事例は少なからず見られますし、「早急な助言」が必要という判断自体が適切であればラポール形成を促進することはあっても阻害することはないからです。
以下にその例を示していきましょう。
こうしたクライエントの主体性を失わせる可能性を考慮に入れて、助言を行っていくことが大切になります。
何か方向づけがあるような言葉を発することは、その時点において「クライエントが何をしたかったのか」という情報が失われてしまいます。
何を語りたいか、何をしたいかはクライエントが知っているという前提は大切ですし、それを引き出すような面接であることが求められます。
また本選択肢の「早急な助言」という表現をどう捉えるかが難しい問題です。
「早急(さっきゅう・そうきゅう)」の辞書的な意味は「非常に急ぐこと・さま」となっています。
重要な見落としに気づかぬままに急いで助言を行うことで、かえって支援が遠回りになってしまう可能性があると思います。
以上より、選択肢①は適切だという判断ができるかと思います。
しかし、この選択肢が適切という判断は、あくまでも他の選択肢との比較にすぎません(何もない状態で、この選択肢が〇か×か問われれば、私は確実に×をつけます)。
なぜなら、初回面接での「早急な助言」が必要な事例は少なからず見られますし、「早急な助言」が必要という判断自体が適切であればラポール形成を促進することはあっても阻害することはないからです。
以下にその例を示していきましょう。
まず、何か明確な助言を求めて来談するクライエントがいるのも事実です。
しかもその内容が一刻も早く医療機関受診を勧めなければならないような状況であれば、早急に受診するよう助言するのが適切な対応となります。
例えば、統合失調症の予兆や明らかな症状が出現している場合などです。
また、てんかんが疑われるような場合でも医療機関の受診を勧めますね。
脳波のチェックをしないといけません。
こうした見立てに応じた適切な助言は、セラピストへの信頼を高めることはあっても低くなることはありません。
また、上記以外のような医療機関受診の助言を行う場合以外にも助言が重要な場合があります。
例えば、児童期・思春期にあたるクライエントは、こちらから質問・助言をする方がラポール形成につながることも少なくありません。
彼らの言語能力や自分の内界をキャッチする能力は発展途上にあります。
それらを支え、引き出す添え木として、セラピストの質問・助言が活用されるよう言葉を選んでいくことが大切です。
ただし、こちらについては「早急な助言」という点に引っかかるので考えなくても良いかなと思います。
ただし、こちらについては「早急な助言」という点に引っかかるので考えなくても良いかなと思います。
更に、教育領域で保護者面接をしていると「前のカウンセラーは、どうした方が良いのか全く言ってくれなかった」と言われる方が多いです。
もちろん「何か助言してもらう」という前提について、いろいろな見立てがあって良いでしょう。
しかし、助言をしないことによって関係が切れてしまっているのであれば、それはラポール形成に失敗していると言わざるを得ません。
こちらの場合も「早急な助言」である必要はないので、反証としては弱い論理かなと思います。
ですが、やはり「早急な助言」として他機関に紹介することなどはあり得る(他機関に行くことをお勧めします、も助言ですからね)ので、適切と判断するには引っ掛かりがある内容です。
ですが、やはり「早急な助言」として他機関に紹介することなどはあり得る(他機関に行くことをお勧めします、も助言ですからね)ので、適切と判断するには引っ掛かりがある内容です。
おそらく「きちんと情報収集ができていない状態で」ということを表現したかったのでしょうが、「急いで行うこと=見落としのある助言」とは言い切れないと思います。
『②クライエントの主観的現実よりも客観的事実を重視する』
初回面接で行う主な作業は、見立てのための情報収集とラポール形成です。
この両面から本選択肢を考えていきます。
初心者にありがちな間違いが、事実はどうだったのかにこだわる考え方です。
この両面から本選択肢を考えていきます。
初心者にありがちな間違いが、事実はどうだったのかにこだわる考え方です。
もちろん客観的事実が重要ではないというのではありません。
ただ、見立てにおいて重要なのは、クライエントの主観的現実と客観的事実とのズレになります。
このズレの程度がどのくらいか、このズレが何によって生じているのか、などが見立てにおいて大切な事項となります。
また、ラポール形成では主観的現実を大切にする態度が求められます。
ただ、見立てにおいて重要なのは、クライエントの主観的現実と客観的事実とのズレになります。
このズレの程度がどのくらいか、このズレが何によって生じているのか、などが見立てにおいて大切な事項となります。
また、ラポール形成では主観的現実を大切にする態度が求められます。
例えば「あなたはそういいますが、事実はこうだったのでは?」などと言われても、クライエント「そのように思った」という現実を変えることはできませんし、するべきでもありません。
主観的現実を受けとめ理解しようとする態度が見られない人に、自分の内面を表現しようという気にはなりませんよね。
そして「客観的事実」について一言添えさせてもらうと、カウンセリングにおいては過去の語りがあるわけですが、「純粋過去」というものは存在しません。
必ず体験した人、それを語る人によって色付けされるものです。
そういう意味で「主観的現実」と「客観的事実」の間は明瞭な線引きができるものではなく、セラピストが「事実を知る者」として振る舞うのは適切とは言えません。
ちなみに学派によって「主観的現実」は、内的現実・心的現実などと表現されることもありますね。
以上より、選択肢②は不適切と判断できます。
主観的現実を受けとめ理解しようとする態度が見られない人に、自分の内面を表現しようという気にはなりませんよね。
そして「客観的事実」について一言添えさせてもらうと、カウンセリングにおいては過去の語りがあるわけですが、「純粋過去」というものは存在しません。
必ず体験した人、それを語る人によって色付けされるものです。
そういう意味で「主観的現実」と「客観的事実」の間は明瞭な線引きができるものではなく、セラピストが「事実を知る者」として振る舞うのは適切とは言えません。
ちなみに学派によって「主観的現実」は、内的現実・心的現実などと表現されることもありますね。
以上より、選択肢②は不適切と判断できます。
『③クライエントの言葉に疑義を挟まず、そのままの言葉を返す』
まず選択肢前半の「クライエントの言葉に疑義を挟まず」についてです。クライエントの言葉の中にわからないこと、状況が見えないこと、などが出てきたときには、その都度、説明を求めたり確認することが重要になります。
例えば、母子の境界線が曖昧な保護者と面接していると、話題の中の行為の主体者が誰なのかわからなくなっていくことが少なくありません。
そういう時に「それは誰の気持ちですか?」「それをしたのはお子さんということで良いですか?」と確認をすることで話の理解がしやすくなりますし、その行為自体が「母子の境界線が曖昧な保護者」への心理療法的アプローチにもなります。
「疑義を挟まず」にいることは、わからない状態のままに聞いていくことになります。
もちろん、わからないものをわからないままで置いておく場合もあるでしょう。
例えば、妄想の理解については一般に困難であるとされており、中井久夫先生は「中立的な態度がよく、ふしぎだねという感じで対するのがよく、私は経験していないと付け加えてもよい」としています。
こうした態度が、セラピストが経験していないことに対する誠実な態度ではないでしょうか。
しかし、見立てのための情報収集を行うという目的が初回面接にある以上、見立てに必要な情報や流れが見えない事柄についてはクライエントの負担の程度等を踏まえつつ疑問を差し挟んでいくことが通常です。
選択肢後半の「そのままの言葉を返す」については、ロジャーズ学派の課題としてよく取り上げられることです。
いわゆる「共感的応答」として、クライエントの言葉をそのまま返すという手法が教育の中で採用されることがあります。
ちなみに、ロジャーズはこういった手法について一切述べていないです。
フォーカシング指向心理療法におけるリスナー訓練の中にも、「そのまま返す」という対応が見られますね(現在はわかりませんが)。
このやり方の是非はともかくとして、クライエントに共感的な態度で接することは重要になります。
ですが、そのことと「クライエントの言葉をそのまま返す」ことはイコール関係にありません。
先述の通り、クライエントの言葉の中にわからないことがあれば確認し、理解をしたという態度を示しつつ話を促すことが大切です。
セラピストから適切な質問がなされることで、クライエントの連想が膨らみ、自覚的には関係がないと思っていた事柄につながりを感じたり、思わぬ方向に話が及ぶことが生じます。
こうやってクライエントの内界が拡がっていくようなやり取りが大切ですね。
以上より、選択肢③は不適切と判断できます。
『④主訴と状況を早く理解するために、できるだけ多くの情報を得る』
先述したとおり、初回面接では見立てのための情報収集とラポール形成が大切になります(もちろん、それだけではないですけど)。
こちらの選択肢はそのバランスについて問うています。
主訴と状況を早く理解すること、できるだけ多くの情報を得ることは適切な見立てにつながり、そうなれば早い段階で適切な支援に取り組むことも可能になります。
すなわち、多くの情報を得て、それを基に適切な見立て、ふさわしい支援に取り組んでいくこと自体は何も問題ありません。
こちらの選択肢はそのバランスについて問うています。
主訴と状況を早く理解すること、できるだけ多くの情報を得ることは適切な見立てにつながり、そうなれば早い段階で適切な支援に取り組むことも可能になります。
すなわち、多くの情報を得て、それを基に適切な見立て、ふさわしい支援に取り組んでいくこと自体は何も問題ありません。
しかし、情報収集を急ぐあまりクライエント自身に「自分の気持ちを細やかに聞いてもらえていない」「カウンセラーが聞きたいことばかり聞いている」という思いを抱かせる恐れもあります。
優れた初回面接では、見立てに必要な情報をしっかりと得ている一方で、クライエントは自分が話したいことを話し、きちんと聞いてもらえたという実感を持つものです。
情報収集を気にするあまり、ラポール形成がおろそかにならないようにする必要があります。
このような情報収集とラポール形成のバランスが保たれている初回面接が重要です。
以上より、選択肢④は不適切と判断できます。
『⑤クライエントが主訴とその状況を話しやすいよう、定型の質問を準備しておく』
こちらは「構造化面接・半構造化面接・非構造化面接」について問うている選択肢だと思われます。以下のようになっています。
- 構造化面接法:
あらかじめ設定された仮説に沿って、事前に質問すべき項目を決めておき、仮説の妥当性を検証するためのデータを統計的に収集することが目的であることが多い。 - 半構造化面接:
あらかじめ仮説を設定し、質問項目も決めておきますが、会話の流れに応じ、質問の変更や追加を行って自由な反応を引き出すもの。 - 非構造化面接:
質問項目を特に用意はせず、被面接者の反応に応じ、自由に方向づけを行う。多面的・多層的・全体的なデータを収集して、仮説を生成することが目的であることが多い。
例えば、明確に主訴が決まっていたり、ある特定の疾患を受け付けるような機関では半構造化面接に寄って行くこともあるでしょう。
他の選択肢の解説内でも記載がありますが、「自分が言いたいことを話すことができた」「言いたいことを理解してもらえた」といった感覚は初回面接のクライエント体験において重要なものです。
しかし、構造化面接のように「定型の質問」のみで面接が構成されていると、クライエント自身の連想の広がりによる対話が生じにくくなり、それは情報収集の色合いを強めると考えることができます。
では「定型の質問」は全くされることがないのかと問われれば、それも誤りです。
初回面接で心理検査や発達検査を行う場合があると思いますが、あれはまさに構造化面接の代表であり「定型の質問」の集合体なわけです。
もちろん、各検査の熟練者は、その検査を通したラポール形成が可能です。
しかし、それは一般的な範囲を超えた事柄と認識する方が良いでしょう。
あくまでも初回面接の中の対話の枠組みで考えていくと、「定型の質問」で構成されるのはマイナスが大きいと判断できます。
以上より、選択肢⑤は不適切と判断できます。
1と5で迷って迷って5を選択しました。定型の質問を「準備しておく」ことは不適切なのでしょうか。実際にそれを使うかどうかについては言及されていませんよね。もやもやする問題でした。
返信削除コメントありがとうございます。
削除>定型の質問を「準備しておく」ことは不適切なのでしょうか。
把握しておきたいのは、初回面接で行うことは情報収集だけでなく、それ自体が心理支援である必要があるということです。
実は「定型の質問を準備しておく」は情報収集としては優れていても、心理支援という枠組みではそぐわないことが多いです。
初回面接という状況を考えると、カウンセラー側は申し込み時点での大まかな主訴や状況しかわかっていない段階であると言ってよいですよね。
一般に初回面接ではクライエントの主訴やその状況を、クライエント自身に物語ってもらうことが大切になります。
主訴はその時点における、問題に関するクライエント自身の一定のまとまりをもったストーリー、世界観です。
この際のカウンセラー側の質問は、細部を明確化するよりも、クライエントの主訴にまつわるストーリーが「一応の形が整う」ことを目指すのが適切です。
一応の形が整うことにより、クライエントの狼狽えの雰囲気が緩み、多少の落ち着きが生じるようになります。
ここでできあがったストーリーは、カウンセラー・クライエントの共有財産であり、三者関係のやり取りを支えるものになります。
準備された「定型の質問」は、こうしたやり取りのために力を持つことは少ないです。
定型の質問を準備しておくことは、むしろ、こちらの枠組みでクライエントの問題を捉えてしまう傾向を強め、こちらの枠組み以外の微細だが重要なクライエントからの情報を軽視してしまう可能性が出てきてしまいます。
>実際にそれを使うかどうかについては言及されていませんよね。
ここで私が述べた危険性は、使うか否かに関わらず生じるものです。
クライエントの姿をこちらがあらかじめ想定してしまっているという点で、クライエントの問題を細やかに掴むという姿勢から離れてしまうのです。
クライエントの問題が細やかにわかっていない段階なのに、「定型の質問を準備できる」というのは矛盾があるということですね。
もちろんカウンセラー側に、ある状況、クライエントの状態で問う可能性が高い質問というのは存在します。
ですが大切なのは、カウンセラーとクライエントの相互作用の中でそうした質問が引き出されることであり、相互作用以前、クライエントに会う前から質問が決まっているというのは不自然と言わざるを得ないでしょう。
また選択肢には「定型の質問」だから「主訴やその状況が話しやすい」と当たり前のように記載されていますが、実際そうでしょうか?
もちろん話しやすい場合もあるし、そうでない場合だってあるはずですよね。
この辺は論理的なようで、論理の筋目が通っていないと思われます。
私なりの本選択肢に関する考えは以上になります。
答えになっていれば幸いです。