公認心理師 2018-148

2018年12月18日火曜日

40歳の女性Aの事例です。

事例の内容は以下の通りです。
  • Aには二人の息子がいたが、Aの長男が交通事故に巻き込まれて急死した。
  • 事故から半年が経過しても、涙が出て何も手につかない状態が続いている。
  • Aの状態を案じた夫に連れられて、カウンセリングルームに来室した。
  • カウンセリングの中で、Aは「加害者を苦しめ続けてやる。自分はこんなに悲しみに暮れている。息子が亡くなったのに平気な顔で生活している夫の神経が信じられない」などと繰り返し語った。
このときのAへの支援の在り方として、最も適切なものを1つ選ぶ問題です。

死別体験に伴う心理社会的経過を振り返っておきましょう。
本事例は事故から半年たっているので、慢性期の心理的な症状を中心に挙げていきます。
  1. 抑うつ感、悲哀感:
    きっかけの有無にかかわらず悲しみの波に襲われる。無感動になり、喜びを感じない。物事に興味を持てない。
  2. 死者への探索行動・追慕・切望:
    死者のイメージへのとらわれ。死者が未だ生きているかのように感じ、行動する。死者のことが頭から離れない。
  3. 罪悪感・罪責感:
    サイバーズギルトと、自分が死に責任があると感じることによる罪責感とがある。とくに子どもを亡くした親には頻繁に生じる。
  4. 怒り:
    事件や事故に巻き込まれた被害者遺族には特に生じやすい。
    生きている家族、友人や知人、医者や援助者、被害者遺族では加害者、警察官、司法関係者、さらには死者自身に向けられる。
    死に対する反応の相違から怒りが家族に向けられる場合、遺族同士が傷つけあう結果になる。
    怒りの感情は非常に激しく、周囲の理解を得にくいため、遺族の孤立を招く。
上記以外にも身体的症状として、睡眠障害や窒息感などが生じることも少なくありません。
社会からのひきこもりなども生じやすいとされています。

事例の症状は、特に「怒り」が強く表現されていますね。
こうした事態にどのように対応するのか、各選択肢の検証を通してみていきましょう。



解答のポイント

死別遺族のケアについて把握していること。



選択肢の解説


『①加害者を苦しめ続けたいというAの気持ちを否定しない』

心的トラウマの理解とケア」で死別遺族へのケアとして、話を聴く際のポイントが以下のように示されております。
  1. 話をさえぎらない:
    聴く側がつらい話であっても、さえぎったり話題を変えてはいけない。遺族は自分の感情が受け容れられなかったと感じる。
  2. 自分の体験を強要しない:
    支援者が同様の体験をしていたとしても、それを率先して語ってはいけない。また自分にとって有効だった解決法を強制してはいけない。死別の体験はそれぞれの遺族に固有のものであり、自分と同じような体験を別の遺族がしているわけではない。
  3. 感情をそのまま受け入れる:
    遺族が示す感情の中には、強い怒りや罪悪感などのように不合理で納得しがたいものが含まれていることもある。そうした場合、支援者はその感情を否定したり訂正したくなることがある。しかし、否定せずにそのまま聞く姿勢こそが、援助者に強く求められている。ネガティブな感情は、遺族自身もなかなか表に出せないで苦しんでいる場合がある。適切な感情表出の場の提供は、援助の重要な役割の一つである。
  4. 安易の同調しない:
    遺族は自分の感情や考えを受け容れてほしいという気持ちと、簡単にわかるはずがないという気持ちの両方をもっている。またすでに周囲から理解を得られずにつらい体験を重ねている場合もある。
    そんなとき「あなたの気持ちはよくわかる」「私には全部理解できる」など遺族に安易に同調する言葉は、かえって遺族の不信感を招き、新たな傷つきを生じかねない。
    遺族は死別によって通常の世界観が変容するほどの悲痛な経験をしており、そこからはさまざまな感情や価値観が生まれるのは当然のことである。聴き手は可能な限り想像力を凝らし、遺族の現状について知識を広げるなど遺族の感情や価値観を理解するよう努めてほしい。
    基本的には「悲しいのですね」「つらいのですね」と遺族の感情を中心に受容し、言語化することが大切である。
上記の通り、「感情をそのまま受け入れる」という内容に本選択肢は合致すると思われます。

この事例のように「加害者を苦しめ続けてやる」という感情は同調できるものではありませんが、複雑な心理状態の中で出てきているものを軽々に否定することは適切ではありません。
少なくとも本選択肢のように「気持ちを否定しない」という対応が重要です。

細かいことですが、上記の内容の「感情をそのまま受け入れる」ということと「気持ちを否定せずに聴く」ということは似て非なるものという印象を持ちます。
この辺は著者の表現の仕方なのでしょう。

個人的には「あなたの立場だったら、そのように感じることが自然なことだと思える」ということを声に出さなくても、頭の中でつぶやくだけでも違うかなと思ったりしています。

以上より、選択肢①が最も適切と判断できます。



『②Aの安心を優先させるため「私はあなたを全部理解できる」と言う』

こちらについては先述の書籍から再び引用します。
  1. 話をさえぎらない:
    聴く側がつらい話であっても、さえぎったり話題を変えてはいけない。遺族は自分の感情が受け容れられなかったと感じる。
  2. 自分の体験を強要しない:
    支援者が同様の体験をしていたとしても、それを率先して語ってはいけない。また自分にとって有効だった解決法を強制してはいけない。死別の体験はそれぞれの遺族に固有のものであり、自分と同じような体験を別の遺族がしているわけではない。
  3. 感情をそのまま受け入れる:
    遺族が示す感情の中には、強い怒りや罪悪感などのように不合理で納得しがたいものが含まれていることもある。そうした場合、支援者はその感情を否定したり訂正したくなることがある。しかし、否定せずにそのまま聞く姿勢こそが、援助者に強く求められている。ネガティブな感情は、遺族自身もなかなか表に出せないで苦しんでいる場合がある。適切な感情表出の場の提供は、援助の重要な役割の一つである。
  4. 安易の同調しない:
    遺族は自分の感情や考えを受け容れてほしいという気持ちと、簡単にわかるはずがないという気持ちの両方をもっている。またすでに周囲から理解を得られずにつらい体験を重ねている場合もある。そんなとき「あなたの気持ちはよくわかる」「私には全部理解できる」など遺族に安易に同調する言葉は、かえって遺族の不信感を招き、新たな傷つきを生じかねない。
    遺族は死別によって通常の世界観が変容するほどの悲痛な経験をしており、そこからはさまざまな感情や価値観が生まれるのは当然のことである。聴き手は可能な限り想像力を凝らし、遺族の現状について知識を広げるなど遺族の感情や価値観を理解するよう努めてほしい。
    基本的には「悲しいのですね」「つらいのですね」と遺族の感情を中心に受容し、言語化することが大切である。
明らかに本選択肢の内容と同じことが記載してありますね。
上記より、選択肢②の対応は不適切と判断できます。

こうした「私にはあなたが理解できる」と言えてしまう支援者の心理構造として、どういうことがあり得るでしょうか。
選択肢にある「安心させるため」というのは理解できるようで、綺麗すぎる気もしています。
実際には、理解できるように見せたい欲求や支援者側の見捨てられ不安(Aが自分から離れられないようにする)といった、支援者として未成熟なものが潜んでいるように感じることが多いです。



『③Aの話が堂々巡りになっているため、将来のことに話題を変える』

こちらについては先述の書籍から再び引用します。
  1. 話をさえぎらない:
    聴く側がつらい話であっても、さえぎったり話題を変えてはいけない。遺族は自分の感情が受け容れられなかったと感じる。
  2. 自分の体験を強要しない:
    支援者が同様の体験をしていたとしても、それを率先して語ってはいけない。また自分にとって有効だった解決法を強制してはいけない。死別の体験はそれぞれの遺族に固有のものであり、自分と同じような体験を別の遺族がしているわけではない。
  3. 感情をそのまま受け入れる:
    遺族が示す感情の中には、強い怒りや罪悪感などのように不合理で納得しがたいものが含まれていることもある。そうした場合、支援者はその感情を否定したり訂正したくなることがある。しかし、否定せずにそのまま聞く姿勢こそが、援助者に強く求められている。ネガティブな感情は、遺族自身もなかなか表に出せないで苦しんでいる場合がある。適切な感情表出の場の提供は、援助の重要な役割の一つである。
  4. 安易の同調しない:
    遺族は自分の感情や考えを受け容れてほしいという気持ちと、簡単にわかるはずがないという気持ちの両方をもっている。またすでに周囲から理解を得られずにつらい体験を重ねている場合もある。
    そんなとき「あなたの気持ちはよくわかる」「私には全部理解できる」など遺族に安易に同調する言葉は、かえって遺族の不信感を招き、新たな傷つきを生じかねない。
    遺族は死別によって通常の世界観が変容するほどの悲痛な経験をしており、そこからはさまざまな感情や価値観が生まれるのは当然のことである。聴き手は可能な限り想像力を凝らし、遺族の現状について知識を広げるなど遺族の感情や価値観を理解するよう努めてほしい。
    基本的には「悲しいのですね」「つらいのですね」と遺族の感情を中心に受容し、言語化することが大切である。
上記の「話をさえぎらない」が、本選択肢の説明として妥当な気がします。

以前、あるカンファレンスで「同じ話ばかりするんです」と語る発表者に対して、指導者の方が「同じ話のわけがないでしょう」と静かに返しておられました。
同じ話のように見えても内的な体験は異なることもあるでしょうし、同じ話をすることがその人に重要なこともあるでしょう。

また、聴き方によって「堂々巡り」が生じてしまう可能性だってあるわけです。
選択肢の内容は、支援者自身の省みるものが少なすぎるような気がします。
事例Aの話を「堂々巡り」と決めつける前に、A自身にとってのその話の大切さを想うこと、支援者として本当の意味で傾聴ができているのかを振り返ること、などが大切です。

更に、人間に精神的安定感をもたらすものとして「生まれてから現在の自分がずっと繋がっている」という感覚があります。
人生の中で起こった出来事をきちんと体験せずに「将来のことに話題を変える」ことは、この繋がりを薄くしてしまう行為であり、結果としてAの精神的健康を損なうように感じます。

以上より、選択肢③は不適切と判断できます。



『④カウンセリングで良くなった担当事例を紹介して、Aを勇気づける』

こちらについては先述の書籍から再び引用します。
  1. 話をさえぎらない:
    聴く側がつらい話であっても、さえぎったり話題を変えてはいけない。遺族は自分の感情が受け容れられなかったと感じる。
  2. 自分の体験を強要しない:
    支援者が同様の体験をしていたとしても、それを率先して語ってはいけない。また自分にとって有効だった解決法を強制してはいけない。死別の体験はそれぞれの遺族に固有のものであり、自分と同じような体験を別の遺族がしているわけではない。
  3. 感情をそのまま受け入れる:
    遺族が示す感情の中には、強い怒りや罪悪感などのように不合理で納得しがたいものが含まれていることもある。そうした場合、支援者はその感情を否定したり訂正したくなることがある。しかし、否定せずにそのまま聞く姿勢こそが、援助者に強く求められている。ネガティブな感情は、遺族自身もなかなか表に出せないで苦しんでいる場合がある。適切な感情表出の場の提供は、援助の重要な役割の一つである。
  4. 安易の同調しない:
    遺族は自分の感情や考えを受け容れてほしいという気持ちと、簡単にわかるはずがないという気持ちの両方をもっている。またすでに周囲から理解を得られずにつらい体験を重ねている場合もある。
    そんなとき「あなたの気持ちはよくわかる」「私には全部理解できる」など遺族に安易に同調する言葉は、かえって遺族の不信感を招き、新たな傷つきを生じかねない。
    遺族は死別によって通常の世界観が変容するほどの悲痛な経験をしており、そこからはさまざまな感情や価値観が生まれるのは当然のことである。聴き手は可能な限り想像力を凝らし、遺族の現状について知識を広げるなど遺族の感情や価値観を理解するよう努めてほしい。
    基本的には「悲しいのですね」「つらいのですね」と遺族の感情を中心に受容し、言語化することが大切である。
上記の「自分の体験を強要しない」は、支援者が身近な人を亡くしている場合を想定して書かれていますが、治療体験についても同様かなと思います。
死別体験はそれぞれの遺族に固有のものであることを鑑みても、生き死にの問題について、他者のことを持ち出すのは適切には思えません

また、選択肢の「勇気づける」という表現も、Aの怒りをはじめとした陰性感情を不適切なものとして見ている印象を受けます。
大切なのは、こうした陰性感情を受けとめ、支援者の中で反芻しつつ、あたかも同じ体験をしているかのような状態で傍にいることであり、それが「受容」の雰囲気をそこに生じさせると思われます。
「勇気づける」という対応は、一般的に使われやすいのかもしれませんが、心理的には「気持ちを押し返された」「わかってもらえなかった」という体験になると言ってよいでしょう。

更に、細かいことを言えば、公認心理師法第41条の「秘密保持義務」にも抵触するようにも思えます。

以上より、選択肢④は不適切と判断できます。



『⑤Aの考えに同調し「確かにご主人の神経は信じられませんね」と言う』

この内容では「気持ちを受け入れる」「気持ちを否定しない」という対応にならず、家族間の諍いや不和を生じさせる恐れがあります。
先述の通り「死に対する反応の相違から怒りが家族に向けられる場合、遺族同士が傷つけあう結果になる」ことがあります。

支えになる家族がいることは、悲嘆の反応から早期に脱するために必要なことです。
支援者が、その家族の関係を悪化させるようなことをしてはいけません

Aの怒りは、夫に向かう面もあるでしょうが、加害者やこの状況自体に向けられていたり、場合によってはA自身に向かう面も考えられます。
こうした怒りに対し、不当に夫に向かうように仕向けることは適切ではありません。

臨床全般に言えることでしょうが、誰かを悪者にするような関わりは適切ではありません。
「悪者が存在するような見立てには、必ず見落としがある」と考えておくことが大切です。
水戸黄門のような単純な世界はこころの世界にはあり得ません。

以上より、選択肢⑤は不適切と判断できます。

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2 件のコメント

  1. こんにちは。いつも大変学びになり感謝しております。

    質問があります。
    2.自分の体験を強要しない:
    支援者が同様の体験をしていたとしても、それを率先して語ってはいけない。また自分にとって有効だった解決法を強制してはいけない。死別の体験はそれぞれの遺族に固有のものであり、自分と同じような体験を別の遺族がしているわけではない。

    ご存知の通り、オープンダイアローグやナラティブアプローチでは、この部分が違う捉え方があるかと思います。
    どのようにお考えが教授頂きたいと思います。

    どうぞよろしくお願い致します。

    返信削除
    返信
    1. お返事が遅れまして申し訳ありません。
      最近はなかなか忙しかったもので…。
      ご質問の件ですが、あくまでも私個人の意見として受けとめておいてください。
      私のオープンダイアローグに関する知識は、この考え方が出始めてから数年の、約20冊程度の書籍や雑誌で述べられていることに基づいています。
      正しく認識できていない面や覚えていない面もあると思いますし、専門家からすれば「それは間違った捉え方だ」ということもあるかもしれません。
      ただ単に、私なりに実践の中で「オープンダイアローグがなぜ効くのか」「どういった状況で良い効果があるのか」について考えたことに基づいて述べていきます。

      オープンダイアローグでは、支援者同士が体験を率直に伝えあい、それを支援対象者が見ている(リフレクティング、ですね)などの過程を通して、より現実感のある変化がみられるなどが報告されていますね。
      私は、オープンダイアローグは統合失調症者やひきこもり当事者の支援に役立つだろうと思います。

      オープンダイアローグで重要なのは「現実感のある人間としてそこに存在している」ということだと私は思っています。
      体験を率直に伝え合うという状況が「その人らしさ」を際立たせ、現実感に触れる体験になるのだろうと(雑談的なやり取りに価値があるのも、こういう面もあるでしょう:雑談しているとその人の「素」と関わる感じがあって、現実的な人間という感じが強まる。たぶん)。
      上記の統合失調症者やひきこもり者は、こうした「確かな現実」に触れることが大切な人たちだと思うのです。

      オープンダイアローグを通じて妄想的な言動が少なくなり、現実的なやり取りが可能になることが報告されていますが、統合失調症者の妄想は「生ける現実との接触の喪失」によって生じる面が少なからずあるのでしょう(ミンコフスキーが述べている部分ですね)。
      また、ひきこもり者も「事実に基づかない否定的認知」がかなり強く見られます。
      (事実に基づかないという判断は難しいのですが、明らかに過剰に「世間」を恐れるなどは多くの人が頷くところだろうと思います)
      齋藤環先生が積極的にオープンダイアローグをひきこもり支援に活用しようとしているのも、そういうことと関連しているのかもしれない…と思ったりしますね。

      要するに、私は以下のように考えています。
      ①オープンダイアローグでは「率直に話し合う」といった場を通して、支援対象者に「確かな現実感:現実を突きつけるとかではなく、生きている存在としてそこにいること(to be present)という感じ」を送ることができる。
      ②こうした特徴は「現実から離れて不穏な反応を示す人」に特に効果をもたらす可能性が高い。
      このように、私はオープンダイアローグに対して「その人が強く持っている(直接的な現実に基づかない)ストーリーを修正するのに役立つアプローチ」だという認識を持っているわけです。
      もちろん、オープンダイアローグの価値はそれだけではないのは承知していますが、私はそのように認識しています(他にも「確かな現実」として、何度も関わることで現実的な認識ができやすくなるなどもあるでしょうけど、それはおいといて…)。

      さて、ここでご質問のお返事に移ろうと思います。
      死別の体験は、紛れもない現実です。
      そして、その現実に基づいて現れる様々な反応は、それがどれほど異様なものであったとしても「その反応は、その状況では自然なものである」と見なして関わることが大切ですし、それが道理です。
      一見理解が難しいような状態であったとしても、その人なりの整合性があると考え、それを理解しようと努める関わり自体が「その人の死別の苦しみと共にいる」ということになるのだろうと思うのです。
      死別体験に対して「ストーリーの修正」が必要であるという前提が無いと私は捉えているということですね。
      (もちろん、オープンダイアローグなどでも、それを「狙ってない」ということは承知しています。あくまでも「オマケ」としてそういうことが生じるという認識だったと思います)

      私の中では、オープンダイアローグを適用する場面と、死別の苦しみと共にいるという状況では上記のような違いがあると思っています。
      もちろん、死別体験に対してオープンダイアローグ的に関わるということも「可能だ」という意見はあるでしょう。
      ただし、オープンダイアローグやナラティブでは、どこかでその人のストーリーが「書き換えられる」ということが支援者の頭の片隅にあります(これを否定する人もいるでしょうけど、それはちょっと無理がある気がします)。
      私は、死別の苦しみと共にいるならば、この頭の片隅にある「書き換える」という「可能性を思い浮かべる」ということ自体が不要だと思うのです。
      僅かでも、その人と共にいるという力を強めるために。

      とまぁ色々と述べましたが、単純に「死別の体験をした人に、支援者の意見を率直に伝える」ということが「なんとなく良い感じがしない」というのが正直なところで、上記はこの感覚に理由をつけただけに過ぎません。
      卓越した支援者であれば、オープンダイアローグに基づこうがナラティブに基づこうが、そして死別の支援の理論に基づこうが、効果に大きな違いは無いでしょう。
      ですが、支援者が未熟であるほど「支援者の意見を率直に伝え合う」ということの認識がずれているということも生じるだろうと思うのです(「あなたはそう言うけど、私はこう思う」といった対応が「率直さ」だと勘違いする人もいるだろうという懸念ですね)。
      ですから、はじめから「死別遺族へのケア」に基づいた支援を行う方が安全かな、と率直に思います。

      思いつくままに述べましたのでまとまっていませんが、お返事になっていれば幸いです。

      削除

About Me

小学校~大学までの教育領域で臨床活動をしています。また10年以上、臨床心理士資格試験対策の勉強会に携わってきました。
このブログでは公認心理師および臨床心理士の資格試験に向けた内容をアップしていきます。時々、コラムや読書録なども。

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